■酒巻一男
□みすゞ生誕100年祭実行委員会実行委員長
みすゞさんの101回目の誕生日が過ぎました。もうあれから1年が経つんですね・・・・。
今さらながらみすゞ生誕100年祭を振り返ると、当時は気がつかなかったことに今になって「そういうことだったのかな」と思いあたることがあるんです。それは私たちがやろうとしたのは『日常』を『非日常』に変える、または『かつての再現』てことだったのかなと今、考えてます。
仙崎みすゞ通りは仙崎に住んでいる人々の生活道路。極楽寺をはじめお寺が点在し、祇園様もあり…普段はご近所どうしで井戸端会議、商用の車がゆっくり通り、その後ろからネコが道の真ん中を歩く、そんなのんびりした通りです。もっともみすゞさんが生きた明治、大正期は北浦有数の栄えた町でいつも通りには人がいっぱいだったようです。私たちはこの祭でかつての賑わいを再現しようとし、いつもの静かな通りを3日間だけでも人、人、人で騒々しくゴチャゴチャの『非日常』の空間をつくりたかったのだと思います…みすゞさんの力を借りて。
■小崎真一
□みすゞ生誕100年祭実行委員会事務局長
記念館の完成に伴っての祭り企画が出てきたのが2002年9月頃の話。翌月には実行委員会の設立し、それからは会議、会議の連続でした。
暮れも押し迫った12月中旬に顔写真のモザイク画ポスター案が浮上。祭りまでの時間を逆算すると時間が全くないことに気づき、クリスマス前後にカメラを片手に毎日写真を撮りに駆け回った。よくある企画のポスターだが、皆さんの気持ちのこもったこの「作品」は大好評をはくし、生誕100年祭の成功の予感をしたのが1月。仙崎小学校の子どもたちと何度も詩の朗読の練習、膨大な出店者の配置の検討、チケット販売に追われた立体会談、「4000枚にしたら?」という意見を無視して強行したプロジェクトM6000など…どのセクションも大変な準備だった。
生誕祭当日はというと、右の写真の通り。少々の雨は降ったけれど、13日は絶好の「みすゞ晴れ」になり、4万人のみすゞさんへの「オメデトウ」が聞こえてきそうな気がしました。
市民レベルの実行委員会を作り、何でも意見を言い合う会議を持ちました。みんなの「成功させよう」という思いが1つになった素晴らしいイベントだったように思います。関係各位のご尽力に本当に感謝いたします。