まず音楽との出会いをお聞きしましょうか?
4歳からピアノと歌を習い始めました。中学2年の時に練習がいやになって、いったん辞めたんです。でもやっぱり音楽が好きで、学校のブラスバンドでクラリネット吹いてて…
歌はどうやって出会ったのですか?
周りが音大に行かせたくて、「ソルフェージュ」っていうクラシックの教則本なんかで練習をさせられてましたね。でも私の中ではアイドル志向が強くて…松田聖子が大好きだったんですよ(笑)
高校生活はどうでしたか?
高校に行ったら絶対バンドやろうって思ってたんです。 白井貴子、ハート、バナナラマ、カバーガールズのコピーバンドをやっていました。「Beyond words crazy band」っていう恐ろしいバンド名でしたね(笑)
卒業後、京都の大学に行って軽音楽部に入りました。そこでは色々なジャンルの音楽をやりましたね。エリッククラプトンとかブルース系だったり、プリプリもやったし、あとは自分達のオリジナルをやってました。その曲は私も書いたりしてました。
大学時代にゲームにはまって、そのゲーム音楽に魅せられたんです。ゲームっ子だったんですね(笑)。特に「ファイナルファンタジー」の曲を聴いて作曲家になりたいと思ったんです。
それからゲーム音楽の方へいこうと思ったですね。
はい。コンピューターミュージックの専門学校に、自分でお金を出して、大学に行きながら夜に大阪へ通いました。打ち込みを習う為に…そこで学校側もビックリするくらいがんばって、そこの学校で私が初めてゲーム会社に受かったんです。
その会社には何年くらい働いたのですか?
1年ですね。「ドラゴンボール」のスタッフもやったんですよ!その頃はプレステが出る前だったから、音の容量が限られてて、音の容量も限られていたので、いらない音を省いて必要な音だけを使うという基本を学びましたね。
24歳で東京に上京しました。その会社で知り合った音楽仲間で、男性2人と3人でユニットを組んだんです。オリジナルの曲を作って、それが東京の事務所に認められて上京したんですよ。
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